2010年8月11日水曜日

25年前の日航123便の墜落原因のナゾ


 毎年、この時期になると1985年8月12日に、群馬県御巣鷹の尾根に墜落した日航123便のことが報じられます。524人を乗せた日航ジャンボ機が相模湾上空で操縦不能となり、御巣鷹山の尾根に墜落、4人が救助されたものの520人が亡くなられた大事故。

 今年も報道を聞いて、急いで本棚を探すとありました。日航のパイロットだった藤田日出男さんが2003年に書いた本「隠された証言」が。


藤田氏は内部告発者などからの資料をもとに、いくつもの疑問を投げかけています。


 墜落場所が二転三転し、発見されたのはレーダーから消えてから約16時間後と救助が大幅に遅れました。それでも奇跡的に4人が助かりました。

 しかし、レーダーから消えた2時間後には、現場上空に自衛隊のヘリが到着していたと云われ、埼玉県警、長野県警のパトカーからも目撃情報が寄せられたが、なぜか氏名不詳の目撃情報だけが優先され事故現場特定まで振り回されたのはなぜなのか・・・


 また、事故の原因は圧力隔壁の破損から垂直尾翼が損傷したことによるものとされた。そして、このジャンボ機の特別の理由(以前修理した時の修理ミス)によるものとされた。

 これが原因なら急減圧が起きているはずなのに、生存者からは急減圧のときに生ずる急激な温度の低下、酸素マスクなしでは意識がはっきりしないなどの説明はなく、急減圧はなかったという証言さえあったのに結論に反映されなかったこと・・・などなど。


そして、事故を起こした機が、過去に修理をしていてその修理ミスとしなかったら、ボーイング社の600機以上のジャンボ機全体の問題となってしまうことを恐れたからではないか・・・・と推理しています。


多くの犠牲になられた方々のためにも、真実が明らかになることを願っています。