「軍隊は住民を守るのか考えてください」・・・東京都内で開かれた市民講座で、受講生に問いかける小学校教諭の牛島貞満さん。祖父は、旧日本軍の沖縄守備隊約10万人を率いた牛島満・陸軍中将だといいます。牛島さんは、94年夏のある出来事をきっかけに毎年のように沖縄に足を運び、祖父・牛島満さんを知る人を訪ねたといいます。「優しかった」と言う人、「軍に豪を追い出され怖かった」と経験を話す人・・・・。牛島中将は、住民が避難する南部へ軍を撤退させる命令を下したため、多くの住民を戦闘に巻き込んだとされ、兵士には玉砕するまでゲリラ戦を強いたとされている。そして「悲憤の島から」という新聞記事は、牛島さんが「優しい祖父がなぜ非常な命令を出したのか」その足跡を追い、たどりついた結論は「軍隊は住民を守らない」だったといいます。牛島さんは「祖父を通じて知った沖縄戦を次の世代に伝えるのが私の仕事」として、東京の子どもたちに沖縄戦を教えるようになったと結んでいます。
この3回の連載記事は、戦争と軍隊、そして住民とを非常にリアルにそして分かりやすく描がかれている。心に深く残る内容でした。
2010年8月19日木曜日
戦争・軍隊とは・・・毎日新聞の「悲憤の島から」
8月16日~19日の3日間にわたって掲載された毎日新聞の「悲憤の島から」を読み、改めて戦争の悲惨さを感じた。米軍の捕虜となって敗戦を迎えた野村さん・・・沖縄の収容所から真っ赤な夕日を眺め「生き延びた」と実感したという。しかし、兵士の自分が生き残ったのとは裏腹に、多くの住民が集団自決で死に追いやられたことを思うと心がうずいたといいます。77年に座間味村長からの案内を受け村が主催する慰霊祭に参加するため、「島の人に恨まれているかもしれないと」足を運べないでいた沖縄を訪問。慰霊祭で島の人たちに「申し訳なかった」とわびる野村さんに、島の人たちは「玉砕は国の教え、兵隊さんが悪いわけじゃない」と、責めはしなかったと振り返っている。
郷土の沖縄で米軍と戦った伊禮さん、終戦の年の6月に右足を負傷し、上官から「負傷兵は邪魔になる」と言われ豪から追い出され上官を恨みながら負傷兵のいる別の豪まで迫撃砲の雨の中、約300㍍を一晩かけた這うように歩いたといいます。その伊禮さんも8月の終戦間際に、米軍の攻撃を受け豪から逃げ出すと住民4人がついてきたことから、うろたえる住民と一緒にいると殺されると思い「ついてきたらぶった切る」と足手まといの住民を突き放し「今度は自分が沖縄の民を見捨てていた」と振り返っています。そして、「戦争は人間を人間でなくしてしまう、二度と故郷を戦場にしてはいけない」とも。
郷土の沖縄で米軍と戦った伊禮さん、終戦の年の6月に右足を負傷し、上官から「負傷兵は邪魔になる」と言われ豪から追い出され上官を恨みながら負傷兵のいる別の豪まで迫撃砲の雨の中、約300㍍を一晩かけた這うように歩いたといいます。その伊禮さんも8月の終戦間際に、米軍の攻撃を受け豪から逃げ出すと住民4人がついてきたことから、うろたえる住民と一緒にいると殺されると思い「ついてきたらぶった切る」と足手まといの住民を突き放し「今度は自分が沖縄の民を見捨てていた」と振り返っています。そして、「戦争は人間を人間でなくしてしまう、二度と故郷を戦場にしてはいけない」とも。
2010年8月11日水曜日
25年前の日航123便の墜落原因のナゾ
毎年、この時期になると1985年8月12日に、群馬県御巣鷹の尾根に墜落した日航123便のことが報じられます。524人を乗せた日航ジャンボ機が相模湾上空で操縦不能となり、御巣鷹山の尾根に墜落、4人が救助されたものの520人が亡くなられた大事故。
今年も報道を聞いて、急いで本棚を探すとありました。日航のパイロットだった藤田日出男さんが2003年に書いた本「隠された証言」が。
藤田氏は内部告発者などからの資料をもとに、いくつもの疑問を投げかけています。
墜落場所が二転三転し、発見されたのはレーダーから消えてから約16時間後と救助が大幅に遅れました。それでも奇跡的に4人が助かりました。
しかし、レーダーから消えた2時間後には、現場上空に自衛隊のヘリが到着していたと云われ、埼玉県警、長野県警のパトカーからも目撃情報が寄せられたが、なぜか氏名不詳の目撃情報だけが優先され事故現場特定まで振り回されたのはなぜなのか・・・
また、事故の原因は圧力隔壁の破損から垂直尾翼が損傷したことによるものとされた。そして、このジャンボ機の特別の理由(以前修理した時の修理ミス)によるものとされた。
これが原因なら急減圧が起きているはずなのに、生存者からは急減圧のときに生ずる急激な温度の低下、酸素マスクなしでは意識がはっきりしないなどの説明はなく、急減圧はなかったという証言さえあったのに結論に反映されなかったこと・・・などなど。
そして、事故を起こした機が、過去に修理をしていてその修理ミスとしなかったら、ボーイング社の600機以上のジャンボ機全体の問題となってしまうことを恐れたからではないか・・・・と推理しています。
多くの犠牲になられた方々のためにも、真実が明らかになることを願っています。
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